エッセイ集

第50話 「ちぇすと」じゃ、ないっ!~10月(2007年)

 祝・萬エッセイ、第50話ーーーーーーーっ!!!!!
 ・・・2003年7月からスタートをして、はや4年(!)
 よくもまぁ、こんな大台にまで乗ったもんだ・・・と感無量な・・・私こと山野亜紀でございます・・・。 (T_T)

こちらは、埼玉アリーナで演武する事になったので、その稽古風景です!

 ・・・我ながら毎度毎度、ネタがない、ネタがないと叫びつつも、まぁ・・・さしたる感想を戴く事でもなく、カウンターが画期的に上がるでもなく・・・また、さしたる飛躍をする事もなし★
 でもまぁ、地道にやってれば、こんな事も出来るんですねぇ、感慨。 (゜ _゜)

 昨年(注:2006年)9月からは、NHK大河ドラマ「風林火山」の撮影も始まりまして、ロケに継ぐロケの嵐でございました。

主演の内野さんは、武劇館まで惠子に来ていたので、一緒に稽古しました

 ・・・ロケ地は主な所で、栃木や群馬、猪苗代湖と続いて・・・ついには長野まで飛んでいたんですが、・・・実はその頃。 (^_^;)
 私にとっては、実の母親を亡くしたという・・・まさにその時でもあった訳で、でも東京には男達は出払っていて誰もいないしで、私は告別式の翌日にはもう、殺陣の代理講師の仕事で飛び回っておりました。
 ・・・お蔭様でまぁ、その時は稼いだ、稼いだ、稼いだ・・・。 (^_^)v
 転んでもタダでは起きない、私でございます・・・★

●そして今年は、「風林火山」の撮影終了となって、現在は来年の大河ドラマ「篤姫」の撮影が始まっています。

薙刀指導で、松坂慶子さんの特訓の相手を務めましたが、とても熱心な方でびっくりしました

「篤姫」の原作は、宮尾登美子さん。
 数字の「一」と書いて「一(かつ)姫」と読むのだそうですが、この方は薩摩藩は島津家の分家生まれで、江戸幕府の第13代将軍である徳川家定(いえさだ)の正室となった・・・女性なのだそう。

 ところが家定は・・・病弱であった為に、なんと彼女が嫁いで約1年半後には、亡くなってしまうのだそう・・・。
 そして篤姫はわずか、23歳で落飾(!)
 「天璋院」と呼ばれるようになるのだそうですが、そんな男っ気のない人生は、私はあまり送りたくはないなぁ・・・★ (^_^;)

瑛太さんの東郷示現流の稽古相手も務めました

 瑛太(えいた)さんという俳優さんが、これまた大河ドラマ初出演なのだそうで、この方と「篤姫」撮影に向けて、何度か一緒に「薩摩示現流」を学ぶ事になった・・・訳ですが★ 
 それは・・・西郷隆盛や大久保利通サンも、薩摩示現流を体得していたようですが、私は初めて知ることになったのは・・・実は薩摩の地には、「上士」「郷士」という身分制度があり(!)
 ・・・そして、それぞれ「薩摩示現流を名乗って!」はいるんですが、上士と郷士では、それぞれに習得する流派が実は、全然違うという事だったんですね★ (-_-;)

●瑛太さん演じる、肝付尚五郎(きもつきなおごろう)役は。

 のちに・・・小松帯刀(こまつたてわき)と名乗るようになりますが、薩摩藩では彼の家は、上士の家柄に当たります。
 若くして薩摩藩家老になる方だそうですが、あの坂本龍馬とも縁が深く、史実にもある薩長同盟も、京都にある小松邸で結ばれたのだとか。
 そんな格式ある家柄に産まれた肝付氏は、もちろん「上士が習得するという東郷示現流を、幼い時から学びます。

これも稽古風景。 斬られる形が悪いと、林先生に叱られるN川クン

 東郷示現流とは、島津家の臣である「東郷重位(1561~1643)」が創始。
 東郷さんは、殿様のお供をしながら京都などで様々な流派を習いますが、もともと「タイ捨流(たいしゃ・りゅう)」という流派も修めていたらしく。
 国に戻った時に、薩摩の御留流ともなる武術を考案し、生まれたのが・・・薩摩示現流で、こちらは東郷さんが作った流派なので、「東郷示現流」といいます。

 さて私たちは、東郷示現流の道場の門を叩いて、一番初めに習うという「燕飛之太刀(えんぴのたち)」を習い覚えたのですが、これと同じ名前の組手「柳生新陰流」にもございます。 (^_^;)
 柳生流のそれは、燕飛・猿回(えんかい)・山陰(やまかげ)・月影(つきかげ)・浦波(うらは)・浮舟(うきぶね)と6個の技を繋げたもので、その組手を稽古している時には、息継ぎをする場所がそれぞれに決まっていて、仕手・打手共に3回しか呼吸をしないで行います。 (^_^;)

柳生流・準の構え

 林先生は「柳生新陰流の剣術」を、大坪指方という方から直々に習ったのだそうですが、この方は・・・そちらの方面では大変に高名な方なのだそうで、当時の稽古風景が「ビデオで撮影されて、道場に残されて」います。 (^_^)v
 その中で大坪氏が語っていますが・・・何でも、本当は飛燕の太刀に含まれる技の数も、もともとは7つ」であったとか★
 しかしながら、呼吸の方が大変に辛い事から・・・技の数を一つ減らして、現在の形になったのだそう。

 はてさて、組手を作ったのは・・・上泉信綱本人であったのか、それとも柳生但馬守宗巌なのか・・・はたまた後に続く門人の誰かなのかは、私には判りませんが★
(こういう技って事実、後年になって、お弟子さんが組手を新らしく作ったという事も、なくはないらしい・・・★)
 創った張本人はもしかして、これらの技を「7つ続ける事に意義があった(!)のに」と、あの世で泣いていたりしているのかも・・・(?) (-_-;)

●さて「東郷示現流」の方の「燕飛之太刀」は・・・取っ掛かりは結構、「柳生新陰流」のそれと似ています★

 ただ、「柳生新陰流」は、決め手は「小手打ち」で、奥義は「合し(がっし)打ち」であるのに対し(!)
 薩摩示現流の奥義は、示現流独特の「蜻蛉(とんぼ)の構え」から・・・袈裟斬りに打ち下ろす太刀筋で、この奥義を12回組み入れて「燕飛之太刀」は終わります。

 これを会得する為に、東郷示現流では「立木打(たてぎうち)」という稽古をするそう。
 蜻蛉の構えから、袈裟切りに立木を撃ち続けるそうで、その木の種類も・・・薩摩の方にある「柞(ゆす)の木」(これは堅くて、粘りのある木なのだそう★)、これを下の方の二尺(60センチ)ほどを土に埋めます。枠A青

東郷示現流の立木打

 そして稽古をする人は、走り寄って行って、「えい」の掛け声と共に、これまた「柞(ゆす)の木」の木刀で右に、左にと続けて・・・袈裟斬りに激しく打ち込みます!
 間合いや手の内の締まり、腰の据わりや迅速な進退を身に付けるんだそうですが、かつての修行者は、朝に三千夕に八千とか打って、稽古をしたんですって。 (^_^;)
 そんだけやれには、気力・体力が、もんのすぐぉーーーーっくぅ、つくようにも思いますが・・・。 (゜_゜)
 ・・・って。ところで、薩摩示現流の掛け声ってのは、「えい」ですかっ!?

 薩摩示現流と言えば、「ちぇすと!」
 「ちぇすと!」と言えば、薩摩のこの流派の掛け声だと、何故だかずーーーっと、当たり前に思っていた・・・私だったんですが★
「え? ここに掛け声は、エイとあるけど、ちぇすと!ではないの・・・???」

●・・・気合声というのも、時代小説なんか読んでいれば、幾種類かあるようで。

薩摩示現流・右蜻蛉の構え

「えい!」
 と・・・これは一般的なモノですが、漢字で当て字をして鋭(えい)」と読ませている小説もあります。
 ちなみに、当・萬エッセイでご紹介をしている気合声で有名なのは、甲源一刀流の・・・コレ★
「とぉぉぉおぉおおおーーーーーっ…!!」
 ・・・これはもう、一度聞いたら忘れられないくらい(!)感慨深い気合声だと・・・私は、思っております・・・。 (^_^;)
 ・・・で、この耳に馴染んでいた(?)「ちぇすと!」という掛け声なんですが、まさか実存しない掛け声なのでしょぉか・・・???

●林先生に聞いてみると、「ちぇすと」という掛け声は、「薬丸自顕流」の方が言うらしい、との事。

これが薬丸自顕流の横木打

 それでも、「えい!」の方が主流で、「ちぇすと!」っていうのは、たまに言う程度のモノらしく、滅多に使わない掛け声なのだそうです・・・。 (-_-;)
 薩摩の方言で言うと、「ちぇすと」は「さぁ、いこうぜ!」とか「やろうぜ!」といったような意味なのだそう・・・ですが★
 まぁ、気合声としては内容的にも、合っていないとは・・・言えなくもないような気も致しますが。
 そして聞くところによりますと、どちらかと言えば「ちぇすと!」というより、「ちぇ、ぇええええぇーーー一ぃっ!」と、聞こえるものらしい・・・。 (゜_゜)

●はてさて・・・話は戻りますが、現在薩摩示現流と呼ばれているのは、実は2種類あります。

薬丸の方の・・・横木打ち

「東郷示現流」と「薬丸自顕流」で、薬丸さんの方も、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつけるという、鋭い斬撃が特徴(!)なのだそうです。
 ・・・そして稽古には、やぱり柞(ゆす)の木を使いますが、東郷さんとは違って立木にはせず腰の高さ位で「横に寝かした棒の束」を使用します。

 これを蜻蛉(とんぼ)と呼ばれる構えから、「猿叫(!)」と呼ばれる独特の掛け声(例の、「ちぇ、ぇええええーーーぃっ!」という感じで)、左右に激しく打ち込むのだそうですが・・・こちらは「横木打ち」というのだそう。

●また拵えの方も、薩摩の刀は江戸とは違って、特徴があります。

意味もなく、血振り★

 まず普通の刀は、柄の長さは8寸、刀身の長さはその3倍の24寸くらいの大きさですが、薩摩刀の柄は鍔元から柄頭までが長くそれも手首から肘くらいまでの長さがあるとか。
 また、薩摩でいう「蜻蛉の構え」とは、八双の構えをもっと高い位置で構えるようなものですが、東郷さんと薬丸さんでは、この構えも微妙に違います
 一説には、薬丸さんの方が、もともと土地伝来の流派であった処に、東郷重信さんが薩摩の土地で東郷示現流を創って、それを殿様が「御留流とした」のだ・・・という説もあれば。
 東郷サンの高弟に「薬丸氏」という人がいて、その人が「薬丸自顕流」を起した・・・とか色々説は、あるのだそう★ (^_^;)

●私たちは、薬丸さんも東郷さんも、稽古をしてみました。

埼玉アリーナでの演武の稽古風景。 これは、真剣白羽取りですね

 ・・・いやぁ薬丸さんの方なんか、他のどんな流派よりも、やってて疲れます。 (-_-;)
「この流派は、活気があっていいなぁ~♡」
 と、林邦史朗先生は1人喜んでおられましたが、特に・・・この今年の暑かった夏の日々で、クーラーのない武劇館での稽古はしんどかったです・・・★ (T_T)
 ノリの悪い私なので、資料として、薬丸さんのビデオを見た日(!)には、正直言って稽古とはいえ。
「・・・こ、これをやるのか・・・」 (ーー;)
 と、ものすごぉーーーっく、思いっきり引いてしまったりして★

 薬丸さん独特の猿叫というのは、「ちぇ、ぇええええーーいぃっ!」というより。
「きゃーーーーーっ・・・」
 ・・・と、映像では男性がやっている(!)のに、私には女性の絶叫(!)のように、聞こえるんです・・・★ 
 これをまた、叫びながら・・・打ち込む、打ち込む、打ち込む・・・。
 これもまた、打ち込むというよりは・・・叩き込む、と言った方が近いか★ (^_^;)
 稽古とはいえ、これをやるには勇気が要るのでした・・・。

南にはよくあるという、柞(ゆす)の木

 ・・・でも稽古なので、一応は・・・頑張って、己を捨てて(!)挑んでみました★
 みんなでやれば、怖くない・・・っ!! (^0_0^)
 来年の大河ドラマ「篤姫チーム」は、ロケに行っていますし、今年の「風林火山」の方は、この9月で無事にクランク・アップを致しました♡
 本当に暑くて、長い夏でした・・・。 (^_^;)

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