お江戸の作法教室

第十五話 「父」と「息子」

 腕組みをして、息子の前に強く立ちはだかってはみたものの。
 さてそこで一体、何を語ろうぞ・・・。

 安毛良藩主・葉々(ぱっぱ)成政は、心の中でその事ばかりを繰り返していた。
 そもそもは江戸の藩邸を無断で抜け出し、昔の生活を偲んで遊び呆けていた息子に始まるのだが。
 ・・・あのような場所を抜け出したいと、この者が思っていたとて、不思議はない。
 不思議はないのだが、思うままに振る舞われてもそれは・・・さすがに。
 それでは、さすがに困るのである・・・・・・。

 色々あって、しょげ返っている息子を前に・・・ようやく成政、溜息交じりに言葉を口にした・・・。
「・・・まったく、お前は何という・・・気楽者か・・・・・・」
 何を言われても、どうする事も出来ない気儘之介である。
 一応の観念はしてはいるものの、心の中から反省をしている様子が、成政には見えない。
「・・・はぁ・・・・・・・」
 鼻息のような息子の声を聞きつつ、再び成政。
 ぱちり、ぱちりと掌の中で、扇子を・・・弄ぶ。

 ・・・・・・困った時のどうやら、成政の癖であるらしい。
 成政は、尚も語る。
「波和湯の家にもう来ているかと思いきや、案の定帰りは遅かったな・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「挙句の果てに、風呂に入っての一人酒盛り。こっそり覗きに行けば、波和湯と喧嘩をして鼻血を出して倒れとる。あぁ・・・お前は、ほんっとうに」
「はぁ・・・」
「・・・ほんっとうに。・・・・・・間抜け者だわ」
 溜息と、なげやりと。
 全て併せ呑んだような・・・成政の、声である。
 気儘之介の心は、ひたすら重たい。

 ・・・・・・菜花に言わせると、気儘之介は父親似なのだそうである。
 父親似と言う事は、とりも直さずこの者、成政に似ている・・・と言う事になる。
「だが、わしがこの年には、もう少しましであったわ・・・」
「はぁ・・・・・・・?」
 呆けたような息子の顔に、成政は頭痛を覚える。

 成政が江戸藩邸に戻った時、そこは、てんやわんやの騒ぎであった・・・。
 女中やら下男やら、息せき切って走っていたが、成政の到着でそれがピタリとやんだ。
 ・・・彼等からすれば、成政が戻るまでに気儘之介の行方について、いくばくかの解決を望んでいたに違いない・・・。
 だが、それが出来なかったのは。
 ひとえに、気儘之介の供も遊び相手も、この藩邸にはおらず。 気儘之介は誰にも心を許さず、この藩邸に住み暮らしていたことになる。
「お前は、馬鹿者だ。・・・お前のお陰で藩邸は、どうなっていたと思うのじゃ・・・」 

 成政が帰ってみると、屋敷の女中は泣き出すわ、気儘之介の世話をさせていた爺は白装束で、腹を斬ると言い出すやら、遊び相手を勤めさせていた者は、裏庭から逃げ出そうとするわ・・・。
 出て行く方は気楽で良いが、行かれた方の後始末が堪らぬ・・・。
「・・・はぁ・・・・・・」
 またしても息子の、鼻息のような返事に、成政はだんだん、どうでもよくなってきた・・・。
 何しろ、成政。

 気儘之介の事は、ただ正式な息子にしてやったというだけ・・・。
 こうして話す機会は、3年かけて数えても、片手に余るくらいである。
 互いを良く知らぬゆえに、会話が弾む訳がない。
 ・・・自然、ただお互いを睨むだけの所業と・・・なった。

 成政は、この不肖の息子については、あまり深くを知らぬ・・・。
 知らぬが、ただ情報として、気儘之介の母親である菜花の話があった。
 それを頼りに、取り敢えずはここ波和湯家に辿り着いたのだが。 波和湯風太郎は、菜花の言っていた通りの男であった。
 気が利かず、一見凡庸で、切れる男とはとても言い難い。
 それでいて二人が通っていたと言う剣術道場では・・・波和湯。
 一、二を争う程の腕前だ・・・そうな。

 ちょっと悪戯心を起こして試してみたが、その片鱗は、はてさて・・・。
 ただ、人の良さのようなものは、見えた。
 ・・・こう見えても、成政。
 今まで色々あったお陰で、いくらか人を見る目がある・・・と、自分では思っている。 

 だが、いざ息子の事となると。
 血の繋がりが邪魔をするのか、さしてその事に気を掛けている積りはない。
 ないのだがしかし、何故か他の者のようには話す事が出来ぬ・・・。
 ましてや、この息子は自分の事を嫌い抜いている。
 共に暮らしたこともある、いま一人の方の息子の律之進とは。
 いくらか性格も判っているし、会話も並であるが、この息子の事はよく・・・わからぬ。
「色々お話なさっている内に、あの子の事も判ってまいります」
 菜花は軽くそう言うが、心開かぬ者と相対する事が、成政にとってはちょと、重荷である。
 ・・・実際、気儘之介と語るよりは、お勤めで測量にでも出てた方がまし・・・と思っている、成政なのだ。
 おそらく息子もそうであるのに、無理をして語り合う事もあるまい。
 そう思って過ごした3年の歳月の答えがどうも、今日こうやって出てきたものらしい。
 成政としては、けして好ましくない結果である。

 どうでもよくなって、いっそ・・・と。
 成政はいきなり、核心を突く積りとなった。
「・・・お前、江戸屋敷で暮らすのが嫌なのか」
 いきなり出された質問に、気儘之介は息を呑んだ。
 気儘之介は今まで、江戸の藩邸で律之進と二人、暮らしてきた。
 ちなみに成政の方は菜花のいる安毛良藩の城と江戸の藩邸を、何度も行き来するという生活である。
 気儘之介は、江戸の藩邸で優等生的答えをするよう、いくつも教育を受けてきた。
 ・・・ではあるが、今は実の父親と二人差し向かいではこの際、どうとでもなれ・・・との思いがあった。
 気儘之介は、思い切って言った。
「江戸の屋敷は、息が詰まるし。・・・つまらぬ生活で、食べ物は冷たいし不味い」
「・・・うむ」
 殊勝に聞く態度をみせる実の父に、ちょいと気儘之介は心が躍った。
「それに、酒は好きに飲めません。俺が言った冗談は、通じないし・・・それから俺の事を、腫れ物扱いな割りには何かの時に・・・と思うんでしょうが、擦り寄る男だけは、めっぽう多い」
「・・・うん・・・・・・」
「それが女だったらいい。ですが男に擦り寄られても、俺はまったく嬉しくはありません」
 きっぱりと言ってのける息子に、おもむろに成政は頷いて見せた。
「・・・なるほど」
「ついでに兄上の前と俺の前では、そういう奴に限って態度が全然違います。・・・俺としてはケッ・・・ですね」
「ふむふむ」
 そこで気儘之介は、初めて心から父親の前に両手を付いた。
「ですから、成政様。そろそろ俺をまた百姓か、冷や飯食いに戻していただけませんか」
「それは出来ぬ」
 成政はこれには、きっぱりと答えている・・・。

 気儘之介は、未だ成政の事を父上とは呼ばない。
 ・・・その事に、成政は気付いている。
 血は繋がっているのに、離れて暮らした歳月の溝はとてつもなく深い。
 そして溝を埋める努力を、どちらも放棄している親子なのだ。
 間に菜花が居なければ、二人の関係は落ちる所まで、もう落ちるしかない。

 二人の感情は打って変わって、殺伐としたものになっていた・・・。
「成政様は、母上さえ居ればいいでしょう。ですから俺の事は、放っておいて下さい」
 成政は、それにははっきりと答えた。
「それは出来ぬ」
 ・・・言われて、気儘之介。
 恥ずかしいようだが、愕然としている。
「跡目は、兄上がいるじゃないですか。俺はもう、自由にして下さい」
「それは、出来ぬと言っている」
 気儘之介はいきおい、かっとなった。
「それでは俺に、何をして下さるんですか」
「何も出来ぬ」
 気儘之介は、畳の縁(へり)に爪を立てる。
「・・・殿様だからと言って、いい気になるんじゃねぇよ。・・・なんなんだよ、それは」
「・・・・・・・・・」
「俺には、何っにもしてくれない。ただお前は俺を、こしらえただけじゃねぇのかっ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
 気儘之介は、それでも幾らか気持ちを抑えようとは、しているが。 言いたい事が、幾らでも出てきそうな勢いである。
「・・・わしのした事は、まさしくそうだが。それが一体、どうしたというのじゃ」
「・・・・・・・・・・・・っ」
「わしの務めに、お前の面倒を見る事は含まれておらぬ・・・」
 息を詰めて、気儘之介は成政の顔を睨み付けた。
 成政は、尚も・・・言う。
「わしの務めは、国の安泰だけじゃ・・・。それ以外には、何もない・・・」
二人の間を、風が吹き抜けてゆく・・・。

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