エッセイ集

第46話 空気はタダ、笑うのもタダ!~11月(2006年)

 諸々あって、気付けばHPカウンターが、5万人を突破しておりました・・・。(注:2006年当時)
 みなさま、お元気でいらっしゃいますか?お久し振りでございます~。 (^_^)v

台風の迫る中、赤城山上の大沼は、こんなに天気が良かったのです…!

 ・・・2006年9月18日の、敬老の日の早朝
 母が、旅先の群馬県は四万(しま)温泉の旅館にて、湯船の中で永眠を致しました・・・。 (T_T)
 ・・・本当に、健康診断をして戴いていた某・小金井市のお医者さんでさえ、
「うっ、そぉーーーーっ!!!」
 と、絶句した程の出来事でございました・・・。

甌穴という場所で、心配しましたが、こんな階段も自分で登っていたんですよ

 ほんの一ヶ月前に行われていた健康診断では、敢えて言えば貧血気味で、タンパク質が足りないくらいかなぁ・・・。
 それ以外は、まぁ・・・心臓の不整脈だとか、心臓肥大(年をとるとみんな、それなりに大きくなるのですって)とか、まぁ・・・78歳の年齢なりの健康状態であると・・・。

 ・・・そんな方でも、亡くなる時には、亡くなるものなのですねぇ・・・。 (-_-;)
 また、別の方のお話されていた事によりますと、
「お彼岸に亡くなるというのは、本当の天命で寿命であったということなのよ」と・・・いう事であるらしいのですが★

●お陰様でまぁ、四万温泉から東京まで戻ってくるのは、大変でした・・・。 (+_+)

 家族3人で帰ろうにも、母は文字通り仏様になってしまった」なので、自分の車にはもう、載せる事が出来ません(!)
 ・・・法律で、決まっているのだそうです。 (>_<)

これが噂の、霊柩車・霊柩車してない車・・・外車らしいです

 そんな事を言ったってねぇ、霊柩車・霊柩車した車で高速に乗って帰ってくるのでは、目立って目立って、仕方がないじゃありませんか・・・。
 世間サマは、3連休(!!)なんですよ・・・と言おうと思ったら、普通の車っぽいのが旅館に乗り付けて来ました。
 寝台車なのかと思いきや、これでも霊柩車(!)なのだそう。
 そんな訳でご近所にも洩れずに、至極静かに、母は帰宅が出来たのでした・・・。

 さて、私こと山野亜紀が所有する愛刀・三日月姫(みかづき)さんに、母の「守り刀」になって戴きました。
 彼女も、おそらくは初めての出来事だったでしょうから、緊張していたのではないでしょぉか・・・???

 また初体験と言えば、母は病院で亡くなった訳ではありませんでしたので、「死化粧をして下さる方」もいませんでした・・・★
 ですので、私が生まれて初めて・・・実母の顔に、お化粧をしてあげました。
 DHCのコエンザイムQ10シリーズのファンデーション、母は気に入ってくれたものでしょうか・・・???

●さて、そんなこんなで・・・あっと言う間に、月日が経ってしまいました。

 前回のエッセイでは、津田塾大学で行われた林先生の講演の記事でしたね。
 実際に講演が行われたのは6月ですが、その感想文が先日、林先生の下に送られてきました。
 厚さが7センチ(!)はあろうか・・・という、膨大な人数の感想文です。

 世話役のH田さんに聞いたところ、林先生の講演は「とある授業の一環」として行われたものでした。
 人気のある授業なので、みな1年生の内に受講してしまうんだそうですが、2年生以降になっても受講をする事は出来るそうなんです。
 ・・・感想用紙を提出してくれたのは、1年生のみ・・・との事ですが、1人1枚しか出していないのに、この厚さって、一体・・・。 (@_@;)
 私こと山野亜紀も林先生も、ビックリ(!)でした。

●感想文で、一番ヒット(!)した講演内容はなんと(!)「護身術」でした。

 ・・・そしてこのHPを訪ねていらっしゃる方は、もちろんこの文字を「殺陣(たて)師」と読んで下さった事と思いますが、興味の全くない方にはまず「さつじんし(!)」としか・・・読めませんよね★
 なかには、「殺陣師の字は、これではなくって殺人師って書くんじゃぁないの?これって、誤字(!)じゃないんですか?」・・・と思った方もいたのだとか★ (^_^;)

赤城神社で、おみくじを引きました。とってもいい内容だと喜んでいた母

 最高に受けたのは、「殺人・武術指導の先生(!)が来るなんて・・・怖い人なのでは。というか、それって犯罪なのではないか?・・・と思いました」という一筆が★
 ・・・いやはや、林先生と2人、受けまくりました。 (^_-)
「林先生、殺人を、しかも指導っ(!)していらっしゃるんですねっ♪」
「・・・そりゃね、ドラマの中では何人も殺してきたんだけど
危険人物なんですよねぇ、林先生はやっぱり!」
「虫一匹殺せない性格なのに・・・」
「うそうそ♪♪」
「そういうの聞いたら、人が聞いたら誤解するから、やめてくれない?」 (-_-;)

 講演前の林邦史朗に対するイメージは、犯罪者・殺陣の先生・人殺しなど、まちまちでしたが・・・実際に講演を聞いた後では、ガラリとイメージが変ったんだそう(!)
 なかにも、タッキーファンが何人かいて(注:この辺りはエッセイ43話を参照★)
「新橋演舞場に、行きました!」
滝沢演舞場を見に、何回も行きました!」
「あの立ち廻りは、林先生が付けられていたと聞き、今日を楽しみにして来ました!!」 
という感想も、見つけました。  (^_^)v

●林先生の講演は、1時間の講演時間にしては、内容が多岐に渡っていました。

母と最後に撮った写真。馬刺しとビールで乾杯してます♡

 こちらには、大きなスクリーンがありましたので・・・林先生が編集した映像を、色々と紹介する事が出来ました。
 「大河ドラマ・利家とまつ」を収録した頃の、実際に殺陣を振付けているシーンやら、林先生を交えたメンバーの「真剣試斬を交えた立ち廻り」やら。
 そして、ヌンチャクやトンファーなどの演武などなど、もちろん護身術の映像も流れました♡

 ・・・この護身術の映像は、女学生にとっては、大変に面白かったようです。
 女性4名(その内1名は、私でした・・・★)が、それぞれ怪しい男性に襲われそうになり、手近な物(傘やペン、靴に上着など)で相手をやっつける・・・という映像です。
 林先生の注釈も付いて、身近なもので身を守れるという話に、女学生達はビックリ(!)していました。
 ・・・林先生は、ニヤリニヤリ。
 幾つか質問も飛び交い、にぎやかに講演は終了したのですが・・・この護身術。
 新たにリニューアルをして、皆さんに簡単に出来るよう広めていこうと、林先生は模索中です。(注:2006年当時)

●津田塾大学の学生さんは、将来海外に夢を求めて飛び出して行こう…という方も多いのだとか★

からだであそぼ「たのもう」「今日のサムライ」コーナーにて、林先生が監修・出演してました

 それなら、日本文化の1つとして、こういった武道めいたものも教養の1つとし良いかも知れません。
 ・・・私もボストン(注:この辺りは、21話参照★)でやってみましたが、「手ほどきの術」は、結構受けました。 (^_^)v
 簡単で、遊びながら覚えられる護身術。
 「手ほどき」は、NHK教育テレビの「からだであそぼ(注:2006年当時に放映)」でも、ケインと愛ちゃんがご紹介をしています♡ (^_^)/

 また林先生の講演では、自身の経験を活かした康法」も、紹介をしていました。
 「呼吸法」なのですが、何しろ・・・一番皆さんに受けたのは、この言葉

「皆さん、健康というと、お金を掛けることを思いつくと思います。
 スポーツクラブに行ったり、漢方にお金を掛ける事も良いと思います。
 ですが、私がこれから紹介する呼吸法も、とても体に良いのです。
 ・・・みなさん、空気はタダ(!)ですから。
 いっくら吸っても、たとえ電車の中で行ったとしても、誰にも迷惑を掛けません
 そして笑うこと。
 瀬戸内寂聴さんも仰ってますけど、笑う事もタダ(!!)なんです。
 人間笑うこと、これも健康にとって、とても良い事なんです」

津田塾大学。2006年の大学祭でも、林先生の実演講演がこちらで行われました

 ・・・この健康法も、学生さん達に非常に喜ばれていました。
 言われてみて初めて、あぁそうなのか・・・と思うそうなのです。
 呼吸というものは自然に行っているものなので、自分では気が付かないものなのです。
 ・・・ですが、人間呼吸なくして生きていく事はできません
 人間だけではなく、生きとし生けるもの全てが呼吸をし・・・生かされているのです。
 若いうちに、そういう事に気付く事も大事なのだと、林先生は仰っていました。

●その他、新渡戸稲造とはまた違った意味で、「武士道」についても語られていました。

 新渡戸氏は、日本人を紹介する意味もあって、この本を書いたのだ・・・そうですが★
 林先生は、武道を通して「武士道を語るとどうなるのか」と、と学生さんに質問をされました。
 ・・・林先生は暫く考え、
「西洋の武道は、とにかく試合をしたりして、人と戦いますよね
 ボクシングなんか、判り易い。
 相手と戦って、勝てば天にも昇りつめていく。
「でも日本の武道は、身を守るためのものなんです
 そして戦う相手は、西洋では自分以外の人なのですが、日本の場合自分」です。
 いつも自分自身と戦い、そして自らを高めていくものなのです。

●戦後の日本は、ある意味外国ナイズしてしまったと感じたのか、亡くなった母などはよく怒っていました。

新渡戸稲造は、ご存じ5千円札の人★(注:2006年当時)

「もう今の日本は、私の知ってる日本じゃない。
 こんな日本にもう、生きていたくない」
 そうは言いながら、戦死をした・・・彼女の兄の亡き後で、自分の両親を送り、またその彼女を・・・私と兄も送りました。
 日本はこれから、どうなっていくのでしょうか。

山野家のお仏壇♡

 津田塾学生の綴ったアンケート用紙を見ていますと、純粋そうな・・・若いメッセージが一杯でした♡

 若い時代に学ぶ事は大切で、それならば・・・と、林先生も出来る事はやっていこうかな、と思われたのだとか。
 ・・・こちらのエッセイですが、お休みが長くて申し訳ありませんでした。(注:2006年当時)
 これからもなるたけ皆様に楽しんで戴けますよう、精進をしていきたいと思います・・・女侍として。

山野亜紀エッセイ・目次は、こちら!

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