お江戸の作法教室

第十一話 上様の不始末

「表をあげよ」
 ・・・上様に言われて、風太郎。
 重い我が心を励ましながら、勇気を持って顔を上げた。

 近く寄れと言われてもこの場合では、上様のすぐ側にまで、いきなり身を寄せる訳ではない
 この部屋は十二畳の和室だが、先程は部屋の入り口から。
 この度は、部屋の真ん中辺りまでしか、上様には近寄ってはいない。
 ・・・それでも風太郎から見ると、上様の顔が物凄く近くにあるように思える・・・。
 平素ならば風太郎の身分程度で、こんな事はありえない。

「あれ、とは。あの事件より一度も、会ってはいなかった」
 あれ・・・とは。
 言わずと知れた藩主・葉々(ぱっぱ)成政候の正室になられたという、菜花(なばな)様のことであろう。
 つまりは風太郎の竹馬の友である、気儘之介の母親のことである。
 上様は、まだ若き日であったおのれの所業を、淡々と語った。

 菜花は、百姓の娘である。
 百姓とはいっても名主の娘で、当時の年は15歳。
 花も恥らうような、可憐な少女であった・・・。
 もちろん、当時は数え年であるから、現代風に言えば14歳ということになる。
 産まれ年の年齢を1歳と数えて、正月が来れば、どんな身分の者でも等しく1つ年をとるという習わしである。

 成政候は当時は、江戸では治水工事の学問をして、地元に帰ってからはその実践をするという行動派。
 石高を上げるために、その努力を惜しまなかった。
 ・・・それだけ、何年か不作続きだったのである。

 菜花の実家は、江戸を少し外れた山の奥の方に今もある。
 ある日の成政、体調を崩してしまい、名主の家にて厠(かわや)を借りて・・・。
 そのままとうとう、10日ばかりも寝込んでしまった。
 その看病をしたのが、幼き日の菜花である。
 まさか、そんな子供に手を付けられるとは・・・。
 菜花の両親は、事の次第を知って驚いたのだが、その・・・後の始末がいけない。
 蓋を明けてみれば、菜花の身分がいかにも低い。
 という事で、上様はいくばくかの金を渡してそのまま、帰ってしまったのである。
 まぁ、何にしても上様の手が付いたのは、名誉なことではある。
 当座の資金も出来たし、まさか、身ごもるような事にはならぬであろう・・・。
 菜花もその内、日々の忙しさに取り紛れてそうした出来事を、忘れてしまうに決まっている・・・。
 ・・・そう両親は高を括っていたのだが、その願いはむなしく、菜花の腹は膨らみ始めたのだった。
 狭い村のことで、菜花もその事実に驚いたが、その家族も生きた心地はしなかった。
 上様の御手付きでありながら、側室に上がる事も許されずに捨てられた女・・・。
 菜花には、15の年にしてそんな汚名が付けられてしまったのだ。

 成政はそんな事になっているとは、全く知らなかった。
 国に戻ってからは、いつものように政務に励んでいた。
 ・・・菜花の両親も時間が経ってしまっているのでもう、殿様に娘のことで、言い立てる事をしなかった。
 その当時のましてや農民が、上様に訴えるなぞ。
 ・・・・・・その時代に生きる者達なら、思い付きもしなかったに違いない。

 結局、菜花は月足らずで気儘之介を産んだ。
 ・・・酷い難産で。
 薬も足らず、菜花は里で苦しみ抜いて出産を終えた。
 ・・・・・・赤子は、男の子であった。

 菜花が子を産んだと、初めて知ったのは成政の側近であった。
 それもたまたま、近くを通ったので立ち寄っただけのこと。
 ・・・いくらかその者、さすがに菜花のことを、不憫に思っていたのであろう。
 もしそんな事を、その者が思いつかなかったら気儘之介は一生、日陰の身であったはずである。
 だが幸か不幸か、気儘之介の存在は、上様の耳に入った。
 成政は驚いたが、真実自分の子かどうかを確かめもしたし、産まれた者が男子である事も知ったわけである。
 そして心の中で・・・深く、唸った。

 当時の成政の正室は、病弱だった。
 ようやく産まれた男子も一人しかおらず、母親の体質を受け継いだせいか病弱である。
 せっかく生まれた男の赤子、そのままにしておくには惜しい。
 ・・・しかし名主とはいえ、百姓の子では・・・・・・。

 湯殿の端女(はしため)に産ませた・・・とか。
 側室になった者に、身分の低い者が全く居なかった訳ではないが、それにしても身分が低すぎる。
 ・・・成政は、そんな者に手を付けた自分の事を別に、恥とは思わなかったが、困ったものだとは思っていた。
「ふーむ、男であったか・・・」
 そして思い切って、将来を考えた末にその子を、自分の子として育てるような手段を取る事にした。
 ・・・・・・それが菜花と気儘之介二人、江戸屋敷の側近くの長屋に住まわせる・・・ということだ。
 そして折を見て、二人を引き取る算段、取ろうではないか。

 それを初め、菜花は突っぱねた。
 産後の日達が悪く、具合が悪くて。
 子を産んでからは、床に伏せりがちな日を送っていた当時の菜花である。 

 菜花の両親は当惑したが、これで見事に娘が側室にでもなれば、村人たちを見返せることになる。
 ・・・身分の低い娘でも、上様はちゃんとしてくれると言っているのだ。
 そうすれば菜花の家の格は上がり、今までのように身を小さくして生きていかなくても済むのである・・・。

 菜花は、このままでいいと言ったが。
 もうはや、家族の意見が決まってしまい、自分の事なのにそれを、くつがえす事も出来ぬ・・・。
 そして成政の側近は、菜花に深く同情をしていた。
 したが上様のご命令では、・・・その側近。
 その仕事は、どうしてもやり遂げなくてはならぬ・・・。

 その当時にしては異例ではあったが・・・その側近。
 すぐに城に入れる訳でもなかったからではあろうが、何度もその村に足を運んでは、薬を運んだり。
 何くれとなく世話を焼いては少しずつ、菜花の心を解きほぐしていった・・・。
 菜花もその年で、たった一人息子を連れて江戸に出るのが、なにしろ不安であった。

 さて成政は、たった一度だけ、その村を訪れた事がある。
 ・・・あるにはあったが、その折には菜花は実は、村に居ない。
 ・・・産後の日達が、余りにも悪かったので、家の者がついて湯に行かせていたものである。

 成政は菜花の家族と話し、体を癒やしてから江戸に行かせるよう言って、ほどなく村を出た。
 ・・・しかし菜花は、ぐずぐずと村に残っては日を過ごし。 結局気儘之介が12の年になって、やっと安毛良(あっけら)藩の江戸屋敷にほど近い、小さな長屋に移り住む事となる。
 風太郎が、気儘之介と知り合ったのは更に、ずっと前のことにある。

 上様の話は重く、風太郎は胸が詰まりそうになった。
 ・・・菜花は、風太郎が子供だったせいか、そんな事があったとはおくびにも悟らせない女であった。
 明るく、朗らかで。
 しっかりとした母親の姿であった。

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