とうとう林先生が、2003年の大河ドラマに出演されます!
7月20日放送予定(NHK総合・BSとも)に、第29回「小次郎、動く!」
林先生扮するは、将軍家御指南役・小野派一刀流小野治郎衛門忠明。
同じ将軍家御指南役である柳生宗矩の画策により、佐々木小次郎と真剣勝負をします!乞う御期待!
・・・さて、前回は仙人のお話を。
つまりは、有名な剣術の流派である「甲源一刀流」を、皆様にご紹介してみた訳ですが。
私こと山野亜紀は、自分のエッセイを読んでみて思いました。
あれ・・・?・・・足りない・・・・・・・・・。
え、えぇーーーっ!?
これ読んでると、私ってもしかして、甲源一刀流の気合声(!)にただ驚いているだけでは・・・っ?
ちがーうーーーーっ!!
これだけでは、古流の武術ってのはみんな、そんなモノと思われてしまうっ。
ちょっと、待ったーーーっ!!
・・・私が、甲源一刀流に抱いた、偉大なるカルチャーショックって、それはたかが、あれっぽっちの事ではなーいっ!!(グーパンチで断言だ!!) (-_-;)
・・・産まれて、初めて。
仙人から、日本に古くから伝わるという剣術を習った・・・私です。
林先生の稽古場へと通う内(この時点で、10年目★)に、随分とその流派の数も増えてきました。
実は。最近では・・・何となく。
この古流の剣術を体験する事で、日本の文化を紐解いていってるような気さえ、しています。
昔は、どんな古流の武術でも、それが例えば・・・柔術でも、剣術であれ。
全ては身を護る為の、大切な術(すべ)でありました。
ですから、とても大切な教えだった訳ですし、その技はといえば、昔は勿論、門外不出でした。
なぜって、「教えの全てを公開してしまって」は、手の内を全て晒してしまうことになるからです。
剣術でも、例えば何々流の先生の方々とか。
中には「一子相伝の流派」も、多くあったと聞きます。
・・・ですから、その武術がいくら平和な世の中になったからといって、そうそう易々と、全国に普及する筈はありません。
そしてそれはつい、最近まで続いて来たのです。
林先生は、そんな武術を大切に守ってらっしゃる皆さまに、時には訴えかけたりもしたそうです。
「今は平和な世の中なんだから、このままその技を門外不出にしていたら、この武術は土に埋もれて永遠に絶えて(!)しまう。日本の武術は、先祖伝来の日本人の文化なんだから、これから先は、公開をしていかなければ」
・・・と、訴えてはみたものの。
それでもやっぱり、今でも、簡単には公開しないままでいる方が、居るそうです。
・・・それにしても、現在は天下泰平の平成の世の中です。
良くも悪くも、情報公開の時代となりました。
ビデオやDVDになったり、本になったり。
広めていこう、伝えていこうという方もぼちぼち、多くなってきたようです。 (^。^)y-.。o○
・・・で、甲源一刀流の場合なんですが、この流派は「柳生新陰流よりも新しい流派」です。
ですが、その流れは戦国時代へと遡ります。
もともと、この甲源一刀流の創始者の一族は、甲斐の国に住んでいたといいます。
清和天皇の血脈である源氏の棟梁・八幡太郎義家(はちまんたろう・よしいえ)の弟で、新羅三郎義光(しんらさぶろう・よしみつ)。
その人が11世紀の終りに、甲斐守に任ぜられたので、この土地に移って来ました。
義光の三男(後に、逸見義清)が、市川庄(現在の市川大門町)の平塩の丘に居を構えて、その孫が武田庄(現在の韮崎市)に居を移して武田家の始祖となりました。
・・・それから時は流れ、甲斐の国の権力を、武田家の信虎(つまり信玄)が握るようになります。
創始者の一族の長である逸見若狭守信綱と、信玄との考え方の違いからでしょうか。
袂を分かつ事になってしまいます。
・・・逸見一族はやむなく、甲斐の国から武蔵の国へ。
つまりは現在の、埼玉県秩父市両神村(現・小鹿野町)へと移ります。
それから世代で言えば、9代の時が流れて、逸見太四郎源義年が、甲源(つまり甲斐源氏)一刀流と名付けて、この流派の開祖(!)となりました。
この人は、初代から数えて25世だそうですが、現在でも32世・逸見知夫治氏がこの場で農業を営む傍ら、この先祖伝来の流派を守っているそうです。
ちなみに練武道場・燿武館も有形文化財建造物として残されており、現在も稽古が行なわれているそうです。(注:2003年当時のお話です)
・・・このように「剣術」とはありますが、それは長く時を超えて伝わる「先人の教え」なのです。
それがとつとつと、仙人の口を通して語られるのです・・・。
そして、その内容はと言えば、それはたかが「25本の教え」ではありません。
この話はまた、次回へと続きます。
・・・さて次回、いよいよ明らかにされる、山野サンの限りないカルチャーショック。
「甲源一刀流・最終話~その伝統と技」~」