土産だ。 食わないか?
そういって自ら、むしゃむしゃと饅頭を平らげていく。
井戸から水を汲んで、遠慮会釈なくガブ飲みをする。
友のその様子を見て、風太郎は溜息をついた。
「・・・・・・気儘之介。その身なりはどうした。 ・・・お前が着るような物ではないように見えるが」
・・・それは、薄汚れた野良着に古い袴であった。
腰には手拭いを引っ掛け、着物にはツギが当たっている。
「ん?あぁ、途中お袋の実家に寄って、元の奴は隠してきた。 あのいでたちでは、目立って仕様がなくてなぁ」
あはあはと笑う気儘之介に、頭痛を覚えながら風太郎はまた尋ねた。
「だが、お前のお袋の実家への立ち入りは、差し止められているはずだ。 お前が立ち寄ったなどと知れると、あちらにも面倒を掛けることになるぞ」
「うん。だから誰にも会わずに、着物だけ夜の内に、秘密の場所から取って来た」
「は?」
「・・・俺だけのよ、秘密の場所があるのよ」
にぃぃっと笑って、気儘之介は言う。
勧められた饅頭が、喉を通らなくなってきた。
そんな風太郎に、気儘之介はお構いなしだ。
「大丈夫だ。お前には、迷惑はかけん」
自信たっぷりに言ってくれるが、多分それは無理であろう。
気儘之介の行くところなど、たかが知れている。
今この場所に二人だけで居ること自体が、既に異常だ。
・・・もう、自分の屋敷には手が廻っているに違いない。
でも気儘之介は、つかの間の自由を満喫していて、今は幸せそうだ。
「もう、屋敷は息が詰まる。 兄上がいるから、跡目は大丈夫なのだが、この兄上が。・・・人はいいし、俺も好きだが、体が弱くてなぁ」
兄の体調が良好な時は、振り向きもされず。
兄が病床に付くと、掌(てのひら)を返したように。
「贔屓(ひいき)筋が増えてなぁ・・・」
饅頭でぱんぱんに膨れた腹を抱えて、気儘之介は言う。
「仕方があるまい。その為にお前は、あの家に戻ったのだ」
「よせやい。お袋を呼んでくれると言うから、仕方なく戻っただけだ」
「母上様は、息災か?」
「うん。本妻が亡くなって、すぐにあの家に入って。身分違いの苦労はあるが、父上とは、うまくやっているようだ」
「そうか」
気儘之介は、いわゆる妾腹の子である。
上様が腹を壊されて、暫く休まれた百姓屋の娘が、気儘之介の母親だ。
身分が低いので側室という訳にもいかず、江戸の町で暮らす中で、風太郎と出会った。
お互いに元服は済ませたものの、風太郎はどうにもならない武家の三男坊。
事情ありの気儘之介と二人、風のようにふわふわと世の中を漂い、生きてきた。
しかし気儘之介の兄上が大病を患ったのと、正妻がやはり流行病(はやりやまい)で亡くなったのを切っ掛けに、気儘之介母子は藩主殿の家に入ったのである。
藩主殿には、他に男の子がなかったからだ。
「城で一回暮らしてみろ。絶対に、一晩で嫌になるぞ」
気儘之介は、藩主の座には欲も未練もないようである。 「そうだ。源爺の店に行って一杯やろうぜ。久し振り、お楽にもあいてぇや」
「・・・・・・・・・まだ、食べるのか?気儘之介」
たしか先ほど、饅頭を飲むように食べていたはずである。
「長年慣れ親しんだ味に飢えてるんだよ、俺は。付き合えよ、風太郎」
気儘之介は、茶碗を片付けに立ち上がった。
武士というものは、退館する時にはまず、刀掛けの上の段の小刀をその場で帯刀する。
帯刀の仕方は、自分の臍の辺り(つまり中心)に鐺(こじり)・・・つまり、鞘の先っぽの部分)をまず、合わせる。
袴の下に締めている帯の、上から一枚目の所に刀を通し、鐺を袴の左の併せの間に抜く。
袴を穿く場合は左右に、併せに隙間が出来るものである。
これは袴が、前身ごろと後ろ身ごろを完全には縫い合わせていないからで、その左側の併せの隙間に、刀の鐺を導くのである。
そして大刀は、刃が上になるように右手で持ち、玄関で初めて帯刀するのが作法である。
大刀の場合は、帯の一番自分側、つまり内側に差し、やはり袴の左の併せの間に鐺を導く。
帯刀する帯の差し込む位置を変える事で、大刀と小刀はお互いを傷付ける事はないし、据わりも良い。
「お楽は、元気でやってるかなぁ」
「俺も、会うのは久し振りだ。懐かしい」
「女房とずーっと、お楽しみか」
まだ独り者の気儘之介は、そんな事を言う。
「そ・・・、それどころの騒ぎではないっ」
「ふぅん」
二人は玄関で大刀を腰に差し、右足から草履を履いて仲良く、夜の町へと歩みだした。