おかしい、と・・・波和湯風太郎は思っていた。
・・・確かに、久し振りではある。
この場所を訪れるのは。
何しろ今まで、大変だったのだ。
波和湯家に入り婿をしてから、ようやく二年目に入った。
その間、あまりにも様々なことがあった。
・・・頼りに思っていた、義父の死。
たったそれだけの事が、まさかこれほどの事であったとは。
(・・・仏様でも、ご存知あるまい)
義父が、あの世で舌を出しているような気がする。
妻の里絵は、これまたおっとりとした性質の女で、このような事をいつも風太郎に語っている。
「まぁ、あなた。急ぎませずにゆっくりに、短いうちに慣れてしまえばよいのです」
・・・ちなみに、里絵はこの家に生まれ育っただけあって、風太郎よりも数段、筆が立つ。
そう。
波和湯風太郎を苦しめているのは、御祐筆役というお役目からくるものなのだ。
あれは、初仕事の日。
取り敢えず、やってみてくれと渡された書物の。
一文字も読解出来なかったのだから、仕方がない。
「う・・・・・・・・・」
うめいたきり、悲鳴も出ない。
まずは「いろは」からと。
毎日宿題を渡されては机には向かうものの。
(半時も経たぬうちに、眠くなってしまうものなぁ・・・)
いやじつに机とは、相性が悪い。
いや、裏を返せばもしかして良すぎるのかも知れないが、気がつくと、突っ伏して眠っている。
仕事中も机に向かい、屋敷に帰ってからも机にむかう日々。
「あぁ・・・・・・」
溜息をついていても、始まらない。
波和湯風太郎は、人気の全く感じられない道場に足を踏み入れた。
武士というもの。
屋敷に入る時には、まず玄関にて大刀を帯から抜いて、刃が上になるようにして、右手に持つ。
ところで風太郎は、江戸時代に生きる男である。
で、あるがゆえに、刀を腰に差し。
・・・つまりは、帯刀をしている。
刀には、言うまでもなく表と裏がある。
帯刀されている場合には、いつも同じ面。
つまり、外側になる方を人の目に、いつも晒していることになる。 こちらが、表だ。
江戸時代以前は、刀は太刀(たち)といって、腰に紐などで吊るしていた。
太刀の場合は、「佩く(はく)」という言い方をするが、この場合は刃が下になるよう、吊り下げているものだ。
だから、太刀の場合は、外側が逆になるから、その時代では、こちらの方が表であった。
風太郎は、この道場では師範代の腕を持っている。
だから他の門下生とは別に、着替えなどをする小部屋が与えられていた。
部屋には、風太郎専用の刀掛けがある。
着替えをする前にまず、この刀掛けに愛刀を託すのであるが、その場合は、刃が上になるように収めるものだ。
柄は左。刃が上。
刀掛けは、小刀と大刀を縦に二振掛ける物で、まずは大刀を下の段に掛け、続いて小刀を帯から抜いて、上の段に表を向けて掛ける。
ところでその・・・刀掛けであるが、今日に限って先客が居る。
・・・このような事は、初めてのことなのである。
しかも、この度は刃が上に、柄が右に収めてあった。
これは、左腰に帯びている時と同じ。
つまりいつでも、抜刀ができる状態に置かれているということだ。
道場内に、誰か危険を感じている者があるという印である。
波和湯風太郎はその時、初めて後ろに気配を感じた。
「風太郎ーーーーーっ!!」
背中にいきなり飛びつかれてもつれ合い、二人は道場の板の間の上を転げまわった。
その声には、聞き憶えがある。
「お・・・、お前は、いや、貴方様は」
組み付かれてなかなか離さないその声の主を、確かに知っている。
その男は、・・・その男は。
このような場所に、絶対に居てはならない、その男は。
「やめろやい、そんな言い方はもう、・・・おい、風太郎」
くぅっとばかりに、抱きしめられた。
「やっぱり。・・・・・・気儘之介」
風太郎の竹馬の友であり、道場での良き好敵手でもあり。
そして。・・・・・・そして。
風太郎の胸の中を、不吉なものがよぎって行った・・・。
※絵面が良いので、上に大刀を乗せて撮影される場合が多いが、実際にはこちらが時代考証的には、本当の置き方になります。