林邦史朗が、50年以上の長きに渡る殺陣師人生で研究し、整理して自ら纏め上げたものが「林流真剣刀法」です!
1.切っ掛けは、林が殺陣師となって5年ほど経った頃、大河ドラマを手掛けつつも、TBS系の「顎十郎捕物帖(1968年放送)」の殺陣も担当する事になりました。
その折、「番組のタイトルバックで、竹を真剣で斬るシーンを入れたい」との監督の意向があり、制作側の方で中村流抜刀道の中村泰三郎先生をお招きしました。
撮影当日、目の前でバッサバッサと中村先生が竹を斬るのを目の当たりにした林は、自分もぜひともそんな事が出来るようになりたいと考え、当時は埼玉県の朝霞から、神奈川県の逗子市で開催されていた講習会に通いました。
2.中村泰三郎先生という方は、林曰く「合理的な教え方をする先生だった」そうで、いつも模擬刀や木刀を振り回しては立ち廻りをしていた林は、わりに短い期間で「斬り方のコツを覚えて」しまいました。
それを見た中村先生は、いきなり林に五段を下さり、それからの林は独学で勉強し、その技を弟子達にも伝授していったのだと、著書「林流足裏呼吸法(マガジンハウス刊)」にあります。
弟子の山野亜紀が試斬を始めた当時ですが、武劇館では殺陣の稽古はまだしも、真剣刀法については代講を務める方もおらず、その頃は非常に静かな稽古場で、林が(仕事で)道場にいない日は「稽古に来る者に、真剣を所持している者もいないし、林が不在では危ない」という事で、稽古もお休みという日も多くありました。
・・・そして稽古はあっても、「林が思い付いた居合の稽古を行ってから、その型で試斬」という稽古法で行われていました。
4.それが林が1999年に前立腺がんで入院。
・・・山野が「林の殺陣の代講レッスンを務める切っ掛け」になった訳ですが、殺陣だけでなく真剣刀法の代講も、自分の弟子がやり易いようにと林は一念発起、稽古方法を整えます。
・・・実はそれまでにBABジャパンという出版社から、日本刀極意「真剣刀法のすべて」という映像が1992年に出版をされていましたが、それは林流でいう「奥伝のみ」を収録した作品でした。
当時の林流には、「型以外には、正式な稽古法としては、奥伝しか存在していなかった」のです。
5.林は、「真剣試斬演武を、人前で披露する事を主軸」に、それまで研究していた様々な剣術流派の基本であろう処をまとめ上げ、それをツールに初伝の稽古法を創作すると、次いで中伝を手掛けます。
そちらは「初伝よりもランクアップ」という事で、収録の待ち時間などを利用しながら山野と林で相談をして、稽古法を創作しました。
この頃の山野は林の代講を5年もこなし、剣術流派についてもレッスンに取り入れていたので、かなり詳しくなっていました。
「どこの剣術の特徴が、演武として見せるには面白そうだ」とか、「林流ならではの特徴」を取り入れ、稽古をする人が楽しく、試斬演武も様々な斬り方に挑戦が出来るようにと工夫し、その後奥伝の試斬法も1本増えて、現在の形となって2012年に全て「映像としても整えて、販売を行う」ようになりました。
このHPでは、林邦史朗の研究成果や稽古様式の目録を公開し、映像や文献などを整理した上で必要な方には有償で申し受け、後世に伝える事を目的の一つとしています。