林邦史朗は、その長きに渡る殺陣師人生で、早い時期から琉球古武術に親しみ、「燃えよドラゴン(1973年製作)」でブルース・リーがヌンチャクを披露より以前から、これらの得物を用いて演武をしていました。
琉球古武術で扱う得物は、ヌンチャク、釵、鎌、トンファー、鉄甲などがあり、この武術を林は「明治政府の一員であった井上馨氏の子孫である井上元勝先生(師匠筋紹介・参照)」より師事を受けました。
・・・こちらの先生はとても明るい方だったそうで、稽古に行くと林をよく傍に呼んでは語らい、先生が出版された著書(琉球古武術振興会出版)では表紙モデルに林を起用するほどでした。
さてこちらの武術なんですが、琉球王国が1609年に薩摩の侵攻を受け、薩摩より廃刀令が敷かれました。
武器らしい物は全て薩摩に奪われましたが、いざという時に「手近にある物で、自分の身を護るために」と工夫されて編み出されたのが、これらの暗器(隠し武器とも)を使用する武術と言われています。
・・・それからさらに時は流れ、沖縄には「これらの武術にも、たくさんの流派が存在して」いました。
ところが時代の変遷に伴い、継承者も減っていよいよ、大正初期にもなると絶滅を憂慮されるようになりました。
そこで当時、各流派を訪ね歩いた先生(詳しくは、琉球古武術振興会HPをご覧下さい)が、「各種武器の基本の使い方」と「型(1人で舞のように、敵を想定して行う稽古様式)」と組手(1人対1人で行う稽古様式)を纏め上げたのが琉球古武術です。
その他、林に正木流万力鎖術の第10代宗家であった名和弓雄先生から伝えられた万力鎖術についても、林は書き残しました。
鎖の扱い方と、鎌の使い方を組み合わせれば、鎖鎌にも応用できます。
これらの隠し武器は、表技(右手主体)と裏技(左手主体)と両方で使います。
・・・日本人は8割が右利きだと言われているようですが、特に左の方の技を鍛錬する事で「右脳が活性化するから」と言って林はよく、これらを殺陣の稽古にも取り入れていました。
体得すれば、他に類を見ない演武が披露できるようになります。
林邦史朗の編み出した稽古方法では、小物全般においても、林の編み出した殺陣のステップ「体捌きABC」を基に紡がれています。